2017.01.01

今宮戎神社のこと。

今宮戎の神さんは「いつもみてる」

名古屋の熱田神宮や鳥取の出雲大社などで手を合わせると、あまりの荘厳さになにやら日頃の反省をさせられるような気分にもなるオオサカ女のワタクシ。しかも日常では手を合わせたことすら忘れてる。でも、今宮戎神社で手を合わせるとき「神さん、ほんとうに、こんどこそ、自分の悪いところは本気で直す」と前置いてから「だから、仕事うまくいきますように、たのんます」と必死でお願い。しかも、いつも今宮戎の神さんが自分の悪いところを「こらこら、あかんで」と観ている気すらする。

そう、今宮戎神社はなんかが違う。毎年1月の9日から11日まで行われる「十日戎」では百万人の人人人が福笹に吉兆(小判や鯛の飾り物)を携えてお参りにやってきます。そして心斎橋や難波周辺は「宝恵駕行列」や「戎舞台」でにぎやかに。そもそも、今宮戎神社って、なんなんでしょうか??

本日、あらゆる疑問にお答えくださるのは今宮戎神社の禰宜(ねぎ)であられる松原さん。お電話では「広報担当です」とおっしゃっておられて、スーツ姿の「広報担当」様が現れるかと思いきや、装束をまとい、キリリとした面持ちに緊張のワタクシです。が・・・・

なんともフランクで親しみあるお人柄。話がほんっとに面白い!神社内の取材にも関わらず、何度もワタクシは爆笑という、なんとも不謹慎な・・・失礼しました!では、松原さんからうかがった今宮戎神社のあれこれをご報告いたします。

聖徳太子が四天王寺を建てた頃、西方の鎮護として祀られたのが始まりと伝えられる今宮戎神社。そのころは、ここ入り口の際まで波が届いていたほど「この辺は海の際だった」とも伝えられています。そこに起きたのは漁業。海からの幸をもたらす神さまとして、左手に鯛を持ち、右手に釣竿を持つ「えびす」さまが祀られたのが始まり。

海産物と里や野の産物と物々交換されるために「市」が生まれ、人や物が多く行きかう場所となり、市の守り神として「えびす」さまは大切にされることとなりました。その後、時代にともなって、「市」は「商業」へ。商いの成功と繁栄を願う神さまと信仰されるようになりました。

正門からここ拝殿にたどり着くまでに、「十日戎」では何十分もかかります。そのくらい多い人出。本日はものの数分にて到着。こんなにゆっくり、まじまじと、中を見たのは初めてかも。すると松原さんが・・・「中に入られますか?」と!なんとご案内いただくことに。

いいんでしょうか・・・

ほんとに、こんなバチアタリなワタクシが入ってもいいんでしょうか・・・

空気が違います。なんとも清澄な美しい空気感。陽光の入り方まで鑑みられ、陰翳の妙にまで調えが配されるような様式美。人が手がけた建物の中に居るにも関わらず、風や陽をグググッと感じさせてくれる設え。神さんは、見えないけれどここにいる、絶対いる、と思うと、背筋の伸びる思いです。

そう、神さまはこの奥に5社いらっしゃいます。天照坐皇大御神(あまてらしますすめおほみかみ)から始まり5社。

流造(ながれづくり)といわれる建築様式の境内は、緻密な格天井が圧巻。

取材中も次々と人が現れて参っていく今宮戎神社。「観光」ではなく、昨今耳にする「パワースポット」的なものでもなく、生活者たちの生活導線の中に「在る」神社なのが見て取れます。「だから、朝5時には必ず門を開けないといけないんです。皆様の生活と密接してますからね。寝坊もできません」と笑う松原さん。

庶民の、生活の中の、神社。それを裏付けるように俳句の碑が建ちます。昭和の俳人、阿波野青畝(あわのせいほ)氏が詠った一句は「陋巷を好ませたまひ本戎」と。庶民に愛され、庶民を愛するえびすさん、とでも解釈しましょうか。

実は今宮戎神社は、第二次世界大戦の大阪大空襲(昭和20年)で一度すべてが焼失しています。この拝殿や本殿も、その後に再建されたもの。再建が始まったのは昭和26年、まだまだ戦後の社会が安定しないなか、皆が苦しいなかで、どうやって再建にいたったのか??

たとえば、当神社を象徴する「鯛」。これは明治から昭和に筆を持った青木大乗氏の作品。寄贈したのは近隣の電鉄企業。

境内の灯篭にも、古き文字で寄贈主の社名が記されます。

外界と境内を分ける玉垣にも、再建に協力した名だたる社名が。

拝殿の奥には、浪速区に本社を置く産業機械メーカー 創業者の曾孫様が寄贈した灯篭も。

そう、大阪の商人(起業家)たちが、その崇敬心でもって「えびすさま」を建て直した、という歴史があるのでした。庶民の商いを護ってきた「えびすさま」、その「えびすさま」を支えた商い人、毎日手を合わせに来る一般の方々。あらゆる「大阪」が凝縮されているのです。

だから、なんです。百万人にもまれながら「十日戎」を参ったあとは、いつも今宮戎の神さんが自分の悪いところを「こらこら、あかんで」と観ている気すらする。悪いことができないのは、大阪中がえびすさまをコアに「こらこら」と抑止力をかけてきているような…、「人の道はずれたらあかんで」と言ってくれているような感覚。善いことも悪いことも、どちらにしてもデカいことのできない凡人のワタクシの平和な日常を護ってくれているような感じ。

そんな感想をお伝えすると松原さんは「ふふふ」と意味深な笑顔でして。そう、松原さんご自身も今宮戎神社との「ご縁」に奇特な想いをもってらっしゃるのだとか。もともと学問として神道を学んでおられた折、担当教授のご紹介でここにお勤めが始まったのが20数年まえ。「今宮戎神社」が司る位置が庶民の実生活の中にあること、そこに縁を導かれたご自身。「不思議なことです」と。

「そうそう、拝殿裏ってご存知ですか?」とご案内いただいたのは、ワタクシがこれまで一度も足を運ばなかった場所なんです。

なんと、そこには大きなドラが!知らなかった~!

これは拝殿で「えびすさま、たのんます」と参ったあとに、後ろへ回って、「念押し!」するドラなんです。「ちゃんと聞いててや、えびすさん!ほんまにたのむでぇ~」とドンドンと叩く!

そう、今年もやってくる「十日戎」。大阪ミナミの芸者さんたちが派手に駕を繰り出して参ったことが始まりとされる「宝恵駕行列」は今年も心斎橋トップレディ3名が参戦。芸能やスポーツを代表する方々、もちろん、由緒ある芸者衆に福娘。

9日は「宵戎」、10日は「本戎」、11日は「残り福」となります。じゃあ、12日以降は恵みも福もないの??仕事の調整を考えて、かなーーーり、心配となるワタクシ。

「いえいえ、ご安心ください」と話す松原さん。「十日戎」の始まりは、太古の「十日市」に由縁があり、要は「新年の初市!!」が起源なのだとか。「だから、行事としての十日戎と、戎さまが護ってくれる日頃の福とは性格が異なるのです」とのこと。つまり12日以降も福はある!

とはいえ、あの伝統的な熱烈感や盛大さは、渦中の人となってこそ、面白いもの!皆様、今年の「十日戎」も盛大に盛大に、えべすさんに「たのむで~!」と参りましょう♪

  • 平成29年度「十日戎」行事一覧
    ■1月7日(土)
    10:00~餅搗き神事(御鏡講)
    10:00~餅まき(御鏡講・福娘)
    13:00~献花祭
    ■1月8日(日)
    11:00~献茶祭
    14:00~舞楽奉納
    ■1月9日(月・祝日)宵戎
    7:00~宵宮祭
    12:30頃 献鯛行列 神社に到着
    ■1月10日(月)本戎
    7:00~鯛の朝市
    8:00~例祭
    9時40分~15時 宝恵駕行列
    ■1月11日(火)残り戎
    7:00~後宴祭
    ■1月12日(水)
    9:00~賽物勘定始奉告祭
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