記号消費不可侵な『真珠の世界』
真珠を見に来て己を観る対話
1891年創業『心斎橋仲庭』
心斎橋仲庭
5年越しのリターンマッチがいまはじまる!
過去2回、こんな記事とかこんな記事でお伺いした心斎橋仲庭さん。
「真珠を見にきて、内観して帰る」という撃沈ぶりを発揮してきたワタクシです。
そう、真珠専門店である心斎橋仲庭さんの問いはただ一つ。
「あなたは、どの真珠を美しいと思いますか?」
その答えを己の中に持つには自分自身の成熟が欠かせない。あれから5年。ワタクシは…
年収、BMI、肌年齢、SNSフォロワー数
などなど「素敵な大人」になるために頑張ってきました!
だから、今回こそ
「あなたは、どの真珠を美しいと思いますか?」
この問いに回答が出せると思っていました。結論を先に書きます。
以前よりも「わからなくなってしまっていた」のです。
仲庭さんポイント① そもそも真珠の価値とは…
そもそも真珠は、6mmサイズだから○○円、長さがあるから○○円、どこどこ産だから○○円、とは決して一概に言えない…記号化の困難な宝石。
だからその価値は「自分」の中に見出すものと、前回も教えてくださった仲庭さん。
これまで記号や価格といった数値でしか物を眺めてこなかった「消費経験しかない」ワタクシには、貨幣交換以外の「ものの選び方」も「鑑賞力」も持ち合わせてこなかった。
けれど、いまのワタクシならば選べるかもしれない!
仲庭さんポイント② そうして始まる、内観の時間
「ようこそ」と静かな笑みで迎え入れてくれる心斎橋仲庭のご主人。カウンター越しの対峙は3回目。若干の緊張を伴いながらも、今回こそは!と意気込むワタクシです。
目前に並ぶおびただしい数の真珠。そうして始まる禅問答。
「あなたは、どの真珠を美しいと思いますか?」
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やはり、選べなかったのです。
仲庭さんポイント③ 「みんなが評価する私」になったはずだった。
「私にはエラベマセン」正直に白状しました。あれから「誰よりも」頑張ってきたのに、「みんなに」評価してもらうために尽力して、成熟した大人になったつもりだったのに。
そこで仲庭さんはヒントをくれます。
「この真珠をそのスマホで撮ってごらんなさい」
仲庭さんポイント④ そこに写っていたものとは…!?
スマホを構えるワタクシに、仲庭さんは「店内照明あり/なし」の2パターンを撮らせてくれました。左が照明あり。右が照明なし。
不思議。
ダイヤモンド含め、大概のジュエリーをワタクシは「照明を反射して光り輝く」と言葉で表現してきました。けれど真珠はちがう。
照明を消している時の方が「ポンっ」と一粒一粒に内部から光源を発してくる。このジュエリーは他のジュエリーと何が違うというのか??
仲庭さんポイント⑤ ふたつの真珠が示すもの
真珠が他の宝石と何が違うのか?この問いかけに仲庭さんがさらなるヒントを提示します。
2つの真珠を並べて見せて、また問うのです。
「あなたは、どの真珠を美しいと思いますか?」
左は球体が連なり、うっすらと乳白色を帯びている。右は涙型のようなフォルムが連なり銀味を帯びたの発色。
うん、違いは分かる、分かるんだけれど「自分がどちらを美しいと思うのか?」が分からない。
仲庭さんポイント⑥ またも、本心を引き出される
「私にはエラベマセン」またも正直に白状したワタクシの首元に、仲庭さんは2つの真珠をかけてくれます。目前には鏡。
「よく見てくださいね。あなたは、どの真珠を美しいと思いますか?」
自分の顔と真珠を見比べながらワタクシ、どちらの真珠が「ジブンの価値を上げてくれるのか?」だけを考えていたんだと気づいてしまったんです。
価格の高い方が、自分の価値を高めてくれるはずだ、と、そう考えていたわけです。
…、貨幣に換算される数値でしか物を眺められない、そのうえ、自分の価値を高めるためのツールとしか眺められなくなっている。
これは、かなり「(むしろ)貧しい」としか言いようのない。。。
仲庭さんポイント⑦ 真珠の故郷のはなし
ワタクシはそのことをご主人に正直に白状しました。
すると、仲庭さんは店内の世界地図を示しながら、真珠の故郷の話を始めたのです。
例えば、このイエローとシルバーのカラーは白蝶真珠といって、南洋の海底が故郷。そして右側は日本のアコヤ真珠。伊勢・宇和島・五島列島が故郷です。
同じ真珠でも、採れた場所・その環境によりここまで違いが現れる。
「そうですね。もっとよく見てみて」
と促す心斎橋仲庭さん。南洋の黒真珠も重ねた「南洋」シリーズを凝視させます。
驚きました。「日本のアコヤ真珠が世界でナンバーワン」と刷り込まれていた頭が吹き飛ぶのです。だって、3色それぞれに「光」がある。それぞれに持つそれぞれの光があるのです。
「アコヤも、しっかりと見てみて」
と促す仲庭さん。ピンクの光沢を放ちながら白く白く輝く一粒。鉱物にはない生命力を感じる「赤」の光沢。これはかつて生きていたもの、生命を宿していたものと、深く実感した時に気づいたんです。
ダイヤモンドやサファイヤと真珠の違い、それは「真珠は生命」であった、ということ。
仲庭さんポイント⑧心斎橋仲庭さんの昔ばなし
ここで、仲庭さんからさらなるヒントを戴きます。そもそも「心斎橋仲庭」さんはその歴史を1891年に遡る、老舗も老舗、ほんまもんのジュエリー専門店。
明治の頃は着物やかんざしや帯締め、そして万年筆や時計やジュエリーを国外へも通信販売(!?)されていたという生粋、ホンモン、伝統の一軒、「心斎橋仲庭」さん。
この商品カタログは当時のものです。
4代目となる仲庭少年の生家は、商品や修理中の「高級時計」が所狭しと並んでいたそう。文字盤の上をカッチカッチと移行する針を眺めていた仲庭少年はあることに気づいてしまう。
「“時間“というものは不断の現象、しかし、それを見える化した“針”は一瞬は静止する、時計はあくまでも”人間が時間を具現化したもの”なのだな」と。
それはある種の諦念だったのかもしれません。ここを分岐点に、仲庭少年~青年・そして現在の仲庭さんは「人の作為の及ばないもの」を希求し続ける。
それは、人の手でカットするダイヤや人の手で造る時計、ではなく、自然の大きな流れの中で偶然が重なりあって稀有にもこの世に現れた生命の創出、つまり「真珠」であったのだと。
仲庭さんポイント⑨ 本来「生命」は「価値/価格」とは無縁
そう、この一粒一粒は「生命」でありました。それを連ねて装飾としたのは人の都合。記号化してランキングを付けるのも人の都合。「値付ける」ことは(仮)の行為、トレード記号にすぎない。ただしデタラメなトレードを防ぐために「仲庭さん」のようなプロがいる。
もともと、この一粒一粒は、人間の評価も記号も要らない、必要ともしない自然の「生命」であったのだと。「ほんとうはね、人間と真珠のつながりは、選ぶ人と選ばれる真珠の間にしか確立しないんです」と話す仲庭さん。
だからいつも問うのです、
「あなたは、どの真珠を美しいと思いますか?」
この問いは____、つまり、
他者の評価や記号など無関係に「自分で決めなさい」ということだったんだろうな、と。
冒頭で書いた「自己評価」、年収・BMI・肌年齢・フォロワー数、ぜんぶまさにただの相対数値で他人の評価軸を数値化しただけのもの。自分のことすら他者からの記号と数値と生産性でしか証明できないからこそ「真珠」だって価格や記号を通さないと選べない。
他者の評価や記号など無関係に「自分で決めなさい」
そのことが、こんなにも難しいなんて。 「誰よりも」頑張ってきた、「みんなに」評価してもらうために尽力してきた。「誰よりも」「みんなに」を追うあまり、自分だけでは何も決められない。。
仲庭さんポイント⑩ 真珠を見に来て、内観をして帰る…
ちょうど、そのとき。心斎橋仲庭さんに来客がありました。
パパと女の子が事前に注文していた真珠のブレスレットを受け取りに来ていたのです。とても綺麗なブレスレットでした。ほんとうにキレイだったなあ。この後、ママのお誕生日に贈られるその真珠のブレスレットは、〇〇産や〇〇ミリや価格というものとは無関係に美しくて、パパも女の子も嬉しそうな表情がキラキラしていて。あぁ、これが「真珠」なんだと、深く納得するのです。
かつて、仲庭さんはこう話してくれたことがあります。
真珠は記憶のジュエリーと言えます。使う機会は、お祝いや偲ぶ日といった「記憶」や「歴史」に結びつくこともあります。そして、そんな大切なものを「贈る」「贈られる」という行為は…その人にとって記憶に刻まれることなのでしょう。つまり、真珠が表現するのは、富でも権力でもなく、その人そのものなのです。
だから、持ち主の思い、贈り主の思い、それが真価そのものである「真珠」。今回も落胆なワタクシに「また、見にいらっしゃい」と仲庭さんはニッコリ。いつか、自分の目で自分にとっての真価ある1点を選べる日が来るのかしら。
※価格は店頭でご確認ください。
住所:大阪市中央区心斎橋筋2-3-27
電話番号:06-6211-8686